テクミラホールディングス株式会社 20TH ANNIVERSARY SITE

第0章 プライムワークス創業紀 内井の視点

SPEAKER

内井 大輔
テクミラホールディングス株式会社
取締役

Interview

NECでの私のキャリアは、もともとパソコン系の新事業企画を行うというものでした。しかしハードからソフトへという時代の変化とともに、グループ内で新たにコンテンツ事業会社を立ち上げるという話が浮上し、私はそのプロジェクトにジョインすることとなりました。その頃、NECグループの一部ではパソコン向けのコンテンツビジネスに力を入れており、その中心人物が池田さんでした。当時社内では「コンテンツのことは池田に聞け」と広く言われており、私自身も上司の指示でコンタクトを取ることになったのです。

池田さんの評判は、まさに「新規市場を切り拓く尖った人物」として社内で知られていました。そのため、最初は忙しさも手伝って門前払いをされましたが、ある日ようやく約束を取り付けることができました。その日を今でも鮮明に覚えています。指定された場所は都内のとあるホテルのバーでした。そこに到着すると、肩にジャケットをかけてカウンターに座り、片手にはグラス、もう一方の手で猛烈に何かを書き込んでいる池田さんがいました。その姿は、まさに「忙しいビジネスマン」といった風情で、なんだか神妙な出会いだったことを思い出します。当時は一緒に会社を立ち上げることになるなんて思いもしませんでしたが、今思えばその出会いが私たちの新たな旅の始まりでした。

その後、私達は新設された事業子会社で合流しましたが、残念ながらその9年後にNECはコンテンツビジネスから撤退することになりました。その時の池田さんのアクションは驚くほど迅速でしたね。正式な発表が出る前にすでに社内の動きを察知し、独立に向けた準備を進めていました。それだけインターネットに対する可能性を強く感じ、自分で自由にやりたいという想いがあったのだと思います。
ある日、今度は池田さんの方から呼び出しがありました。「俺はもうここを出るけど、一緒にやらないか?」その言葉に私は迷うことなく承諾しました。元のビジネスに戻るより、新しい可能性を追いかけたかったからです。似たような思いを持つ数名が他にもいて、彼らとともに後に創業メンバーとなりました。最初はBN社の会議室から始まったオフィスも、次第に拡大していきました。最初に借りた100坪の広さがあるビルの一室は、当初は人も少なく、空いたスペースでサッカーができるほどガラガラでしたが(笑)。それにもかかわらず、どこかで「やってやろう」という意気込みがあったことを振り返ると感じます。

その後も毎日のように新しい挑戦が続きました。こうして振り返ると、あのホテルのバーで出会った日から始まった私たちの旅は順風満帆というわけにはいきませんでしたが、あの時の決断が、現在の私たちを形作っているのです。

創業当初は自分たちでイスを組み立て、プリンターなどの備品を持ち込んだりもしていたが、会社の拡大とともに整備され「オフィスらしく」なっていった。